3年目にして思うこと

2度目の決算。
おかげさまで、どちらも少しだけ黒でした。税金も少しだけど払って、社会貢献した感じがしていい気分です。汗水たらして働いた税金は大切に使ってほしいものです。

2年でたくさんのことが学べたなという一方で、その間至らない自分のせいでたくさんのみなさんにご迷惑をかけて申し訳ないという気持ちです。
まだまだこれからやりたいこと、やらなきゃいけないことがあるなという気持ちも以前よりも増しています。今後はもっと厳しいぞという不安でいっぱいです。

勤めていたころに京セラさんのお仕事をやらせていただいたことがありますが、おごる・おごられる、のどちらも会社として禁止しているのだそうです。
私もどちらかというとクリーンな仕事をしていきたいので、京セラさんのその方針には賛成です。
しかし、実際の業務のなかで飲ミュニケーションが必要な時もあり、おごられてしまうこともあります。おごられてしまうということはいずれこちらもお返しするということです。

ある業者に必要以上にお金を払い、その業者の担当者に個人的におごってもらうということも世の中にはよくある話のようで、ニュースでいわれているような公務員だけのことではないみたいです。そういう担当者レベルでの強力な関係性を持てば企業が安定することもあるかもしれません。しかし、そういうことはやりたくない。
理想を持つことは時に逆風となりますが、最近そうとも限らないのだと思ったことがあります。

お付き合いのあるお客様で人事異動があり、その部署での上司が変わったことをきっかけに、お仕事をたくさんもらえるようになりました。不景気下では多くの企業が経費を削減するということが重要です。そのお客様もそれまでの担当者レベルでの癒着を廃止する方向で業務改善が行われたようでした。サービスの質そのものを問われるのである意味厳しい状況ではありますが、本質的な力で評価されることを約束されるので、理想の状況でもあります。

このようなことはほとんど偶然ですので、うまくいったことを安易に喜んでいるわけではありません。しかし全体が厳しい状況になればなるほど、理想に近づくということも実際にあるんだなと実感できたいい体験でした。

別の話になりますが、昨年度ははじめてこちらからお付き合いのお断りを申し出るという経験をしました。時間と実益があっていないということはもちろんありましたが、普通は今後それらを解決するために動きます。しかし何度もお話をした結果、改善がみられないのでこちらとしては非常に残念ですがお断りをするという判断にいたったわけです。これは挫折です。その判断をしたのは私で、今後の行動によって正しい判断だったという証明をしなければならないというプレッシャーがかかるので、これまで味わった挫折とは意味が違います。

また、昨年度は開発にいそしむ年でもありました。自社開発のアプリケーションを作ることで、もうひとつの柱ができ、雇用を安定させたいからです。しかし、当時の目標よりもだいぶ遅れ、昨年度に完成するはずのものがいまだにできていません。しかし、通常業務の中で生まれたもうひとつアプリケーション開発も始めていて、どうやらこちらが早く完成しそうな予感です。一から生み出したものが多くの人に少しでも影響を与えられることを想像すると楽しいものですね。

今年の予定
・今はじめてしまっているアプリケーションを完成させ、販売すること。
・たぶん前年度よりも厳しい状況なので、それに耐えること。
・来るモバイル市場に備えること。

素質って

仕事を選ぶときは楽しいとかいうことよりもまず、自分にあったものを選ぶ方がその後幸せになれると思います。
「なんだか楽しそうだな」とかで選んでも実際とは違うわけです。

たとえばプログラマーになる素質のひとつでいえるのは、わからないことをすぐ人に訊いちゃう人はだめです。
人に訊くこと自体は悪くないのだけれど、自分で調べていくと、「わからなかったこと+それ以外の部分で知らなかったこと」というように知識が何倍にも膨れます。それが後々になって有機的に結びついたときに力を発揮するわけです。そのときは時間はかかるけれども結果的には時間短縮に結びつくし、記憶にものこります。そしてわかるまであきらめないことです。少なくとも自分なりに「こうすれば実現できるのではないか」という仮説が立てられるまでがんばりましょう。

ひとつのことがわからなくて、「できるはずなのにできない」という状態で3日ぐらい試行錯誤するときがよくあります。その試行錯誤の多くが見当違いだから3日ぐらいかかるわけですが、その過程で多くの知識と思考力・発想力が養われます。

多くのビジネス本にはこのような業種それぞれの心意気が書かれてます。でも一番楽チンなのはあらかじめ自分の性格にあった仕事を選ぶことです。はい、それが難しいんですけどね。私はわからないことがあるとそわそわします。調べないではいられなくなるので特に精神的な努力がいりません。

ちょっとまえもAdobe AIRの開発をしていて、3日くらい「わからんわからん」とイライラ悩んでいたときがありました。夜の12時くらいまで開発をしていたのですが、妻が「もう、寝るわ」と部屋に入ってきたとき、彼女は以前私がセミナーでもらったAIR Tシャツを着ていました。いやがらせかと思った。

Memento-Moriをもらった。

誕生日祝いに英語版のMemento-Moriをもらった。

たしか大学生の時に大学の図書館でみんなでわいわい見た記憶がある。
そのときは「スゲーなー」とかそんなことしかいえなかった。が、

今見てみてもやっぱり「なんだかスゲー」という感想。
ああ、殿堂入りしたんだな。という印象。

最近は本棚の半分を技術書が埋めているのでこういう本があると殺伐とした感じを癒してくれる。
ありがとう友。

「知り合いの外人にあげてるんだ」って言ってたけど、日本人なんだケド。

FlexかFlashか悩むところ

某システム案件でAIRを開発することになり、Flashを用いて開発をしていたが、これってFlexでの開発の方がいいのではないかと考え直す。
「Flash使いです」とは公言できるけど、Flexの知識は中途半端なので、得意分野を使っての開発スタートとなったわけですが、ちょっと小さめのAIRアプリケーション案件があり、それらを開発するのに「Flexでも使ってみるか」と使ってみたら意外にイイ。

というわけで、Flexをがりがりと勉強し始めると現在進行中のシステム案件も実はFlexの方が開発しやすいのではないかという結論に至ったわけです。

Flexを勉強していて一番ストレスに感じるのは、”絵がかけない”とか”動きのニュアンスちょっと違う”とかそういうところ。
美的感覚が悲鳴をあげます。でもシステムは外に見せるものではないし、そこまでビジュアル的にひどくもないし。生粋のデザイナーにはきついだろうけど、私は平気。許容範囲。
それに、慣れてくれば自由にグラフィックを調整できると思います。

そのシステム案件のスケジュールも伸びたことだし、ここはひとつFlexに舵をきってみようかと思います。

Flex勉強会もFlash勉強会もたまーに出席するけれど、出席する人がちがうんですよね。
親和性はあるはずだから、連携できればもっとすばらしい結果が出せるとおもうので残念だとは思ってました。
どちらも使える人がいれば状況は変わってくるはずなので橋渡しになれればーと思います。

書こう書こうと思ってなかなか書けなかったこと

祖母が入院しています。

こんどは具合が相当悪いらしく、いつもいつも元気な顔をして「もう死ぬ」といっていた祖母が、今回ばかりは本当だというのです。
今日もお見舞いに行ってきましたが、元気だったころの面影もないくらいつらそうでした。

帰ってきてニュースを見ていたら、福山雅治さんのおばあさんを歌った曲が流れました。

うちの祖母は歌われているようなイメージの人ではなく、どちらかというとわがままで、ずうずうしい感じの人です。
それでも孫をかわいいと思ってくれていたのだという記憶が、子供のころはあんまりわからなかったけど、いまさら思い出され、なんだか悔しくてさびしい。

今年の2月に90歳目前に祖父がなくなりました。

これまで死というものに対し、漠然としていたのですが、祖父は最後に死というものを教えてくれました。
実直で偉大な祖父でした。

父方の祖父母はすでになくなっていて、まだ子供だったのであまり理解もできず、しかたがなかったとはいえ、いろいろな側面で後悔を感じまず。
たとえば、なくなったことに対し、それほど悲しみを感じられなかったことです。
離れた場所にお墓があるので、今年の夏にはお墓参りがしたいと、そしていろいろ謝りたいと思っています。

今年の祖父の死後、何かを記しておきたいと思っていたけれども、
考えがまとまらず、結局なにも書けないでいました。
そして、こうして書いている今も結局何が言いたいのか、わかっているわけではありません。

いとこの子供がもうすぐ生まれます。
初ひ孫を祖母も楽しみにしているので、なんとか顔をみれたらなと思っています。

追記

これを書き終えた朝、先ほど、祖母は亡くなりました。

「下請け」と「パートナー」

弊社の考え方として「下請けにならない」というのは基本的に譲ってはならないことです。
どの中小企業であってもそうならないように努力したほうがいいと思っています。

これは単にプライドを保ちたいとか、下手にまわるのがいやだとかそういうことではありません。
ましてお客様に強制するようなことでは絶対にありません。
「下請け」というのはつまるところ「どこに頼んでもいい」ということです。

中小企業であればほとんどの企業が社会全体に張られたサプライチェーンの中に組み込まれていて、「受注する企業」という意味ではそのすべてが「下請け」でしょう。しかし、お客様からみれば「代わりがきかない企業」というのは実質「下請け」から「パートナー」という扱いに変わるものです。
ですから「下請けにならない」というのは企業が目指す価値のある目標です。

ところが実際には、あるお客様には「パートナー」であったとしても、あるお客様には「下請け」です。請け負っている業務やニーズが違っていたり、お客様のお付き合いが広かったり狭かったりするからです。

請け負っている業務やニーズが違えば、自分たちの点数も違ってくるでしょう。会社のリソースから考えて、現状その分野では「下請け」であることを妥協しなければいけない状況もあります。
大きな会社は多くの会社との付き合いがあります。大きな会社相手ではその会社が知る多くの競争相手がいるので「パートナー」になるのは難しいかもしれません。小さい会社相手ではその逆がいえます。

さて、ここから導き出される会社の目指す方向性ですが、

  • 強みの分野でがんばる
  • 弱みの分野でも仕事があるなら強みにできる方法を考える
  • 小さな会社相手での「パートナー」に甘んじず、多くの競争相手にも勝てるようにがんばる

と、なんというか、書き出すのもばかばかしいようなものになってしまいました。しかし「切磋琢磨する」というのはどんなに会社が大きくなっても忘れてはならない企業のありかただなと、初心を記したいと思います。

javascriptのwindow.openで_blankを全部タブじゃなくて別ウィンドウにする

javascriptを久しぶりにいじった。

タブブラウザでウィンドウを_blankで開くと新しいタブが開くことが多いと思いますが、そうするとちょっと不具合があることがあったので解決策を模索しました。不具合というのは新しく開いたウィンドウ(タブ)先でウィンドウサイズ変更を行っていることでした。タブブラウザではウィンドウは当然くっついてるので全部のタブでそのウィンドウサイズになってしまい、具合が悪かったわけです。

そこで下記のようにして一括解決しました。クロスブラウザになってるかは未調査。operaとかsafariとかでは動くのか心配です。。

とりあえずメモしておきます。
やっていることは

  • 全部のaタグを取り出して
  • その中のtargetが_blankのものを取り出して
  • _blankを消し、
  • 変わりにonClickイベントを追加してます。

html側は普通に<a href=”xxxx.html” target=”_blank”>xxxx</a>のようにしてるだけです。

function getURL(e,myThis){
var myURL = myThis.href;
w = window.open(myURL, null,’toolbar=yes,location=yes,status=yes,menubar=yes,scrollbars=yes,resizable=yes’);
e.returnValue = false;
e.preventDefault ();
}
function setEventListener(element, type, listener) {
if (element.addEventListener){
element.addEventListener(type, function(e){listener(e,this)}, false);
}else if (element.attachEvent){
element.attachEvent(‘on’ + type, function(e){listener(e,e.srcElement)});
}
}
function init(){
var aTags = document.getElementsByTagName(‘a’);
var aTagsLen = aTags.length;
for(var i=0;i<aTagsLen;i++){
element = aTags[i];
if(element.target == “_blank”){
element.target = “”;
setEventListener(element,”click”,getURL);
}
}
}

init()はbody.onloadで呼び出してますー。

追記

バグあります。IEでは正常にうごきませんのでご注意ください。

ちょっとひとりウケ

たまたまタコを記述したwikipediaみていたら

一見頭に見える、丸く大きな部分は実は胴体であり、足の付け根部分が頭となる。すなわち、頭から足(腕)が生えていることになる(イカもそうだが、頭足綱の名の由来でもある)。

とあった。この「すなわち」ってなんだか面白くない?あ、そうでもない?

樹齢2000年

樹齢2000年の木らしいです。国の天然記念物らしいです。西暦をまんま生きてきた木があるってすごいですね。ところが調べてみたら、もっとすごいのがいました。最高齢の木が今年新たにスウェーデンで発見されています。スウェーデン中部の山で発見された樹齢9550年のトウヒ類(マツ科の常緑針葉樹)。これまで世界最高齢の樹木は北米の樹齢4000~5000年のマツ類とみられてきました。スカウターも壊れまっせ。写真は樹齢2000年の木。伊豆北川温泉の来宮神社にあるのを撮って来ました。

樹齢2000年の木

米朝

アメリカと北朝鮮のことではありません。

人間国宝の当代桂米朝さんをテレビの番組で知りました。落語の人です。

歌舞伎も能も見たことがないのは日本人としてどうなんだろうという様に、あんまり意識したことのない罪悪感が心のどこかにあるのを最近感じていました。現代文化を波のように浴びている中で、なんだかふわふわしているというか、そういう感覚がだんだん強まってきています。

最先端のテクノロジーが芸術的で大好きな一方。じいちゃん大好き。

古いものにも新しいものにもよさがあるというよなことではなくて、根本的にそのよさは古いものも新しいものも変わらないというのが持論です。私のデジタルに対する感覚は、アナログを扱っている感覚とそれほど違いがありません。それ自体特異なことなんでしょう。

デジタルは比較的整然としている一方、アナログは不確定要素が多い。またはデジタルは単純なことしか解釈も表現もできない(厳密な意味でです)一方、アナログはなんともいえないものを解釈し表現できる。というのがたとえば両者の違いですが、現代のほとんどのクリエイティブな仕事、映画や音楽、デザインにはデジタルが使われていて、対象は人間の感性なわけです。

伝統芸術のこの分野には、デジタルが入る余地がありません。デジタルは媒体として力を発揮するのに、この分野には媒体がないからです。

さて、番組のなかで米朝さんがいいました。

「なくなるとしたら、それが落語という文化の運命だろうね。」※厳密には違う言葉だったかも。

文化の滅亡についての一言です。
82才の落語に人生をかけ、その文化復興に努めてこられた方のこの一言には秘められた「信念」よりもまず「人柄」、そして周囲の人に対する「信頼」が感じられます。

落語見てみたいなと感じました。