月別アーカイブ: 2020年8月

男の子に料理を教えないと男女平等の日本は訪れない?

横浜パパ会をやっていて感じることは、参加しづらそうなお父さんと、参加しやすそうなお父さんがいるということです。その差はずばり「料理ができるかどうか」のように思います。参加しづらさの原因そのものではないのですが「料理が好き」「あるいは料理が嫌じゃなく日常的にできる」という方は比較的、育児に対して自信を持ちやすい傾向があるように思うからです。

子供と遊ぶことができる、教えることができる、掃除できる、洗濯できる、そういうことも得意不得意があるのですが何よりも「子供にご飯を作って食べさせる」ということが「子育てしてる」という自信を持ちやすいポイントなのではないかと思います。例えば「裁縫できる」は生活スキルの中での重要度が下がっています。良質な新しい衣類が裁縫するよりも安く手に入るからです。洗濯も掃除も家電の発達によって簡単になっています。しかし料理に関しはそうならないのは、いくら調理器が発達して手間が省けても求めるだけ追求でき、その理想系がメディアにあふれているからです。

もちろん「お金を稼ぐ」行為が前提としてないと成り立たないので、一生懸命働くということは間違いなく子育ての礎です。父親の育児参加論にありがちな一生懸命働く行為が子育てにカウントされない風潮はあまりにも乱暴に思っています。働いたことをポイントからカットされ、残るは「子供と遊ぶことができる」「教えることができる」というフィールドですが、それすらも不器用で難しい方は典型的な昭和のお父さんとして疎まれている現代です。

一方でお母さん側はどうかというと「ご飯作りがいや」「できればやりたくない」という方は逆にパパ会の活動に賛同される方が多いように思います。この会がそういう個性のお母さんを許容する立場であるからなのかもしれません。

子供の立場からすればお金をいっぱい稼いでくれるお父さんは尊敬されるし、家を清潔に保ち、美味しくて栄養のあるご飯を作ってくれるお母さんもまた尊敬されます。しかしお父さんとお母さんが全く逆のことをやっていたとしても、あるいは両親でバランスをとってうまくやっていたとしても子供にとっては全く問題がないので、双方が尊敬されるはずです。

子供にとっては両親が一生懸命かどうか、あるいは両親の持っているスキルがどうかという話です。端的にいえば「あんたは私のために何をしてくれるの?」ということです。親が家族に対してやれることをやっている限り、子供にとって性別は関係ありません。仮に共にやれることをやっていたとして、子供が尊敬しないのであれば夫婦の互いの不当な評価を子供に伝えてしまっていることが原因かもしれません。

何となく赤子を抱っこしてSNSで笑っている男性があざとく見えたり、後ろめたく感じたり。あるいは仕事を頑張っている女性が必要以上に頑張って見えたり、うらやましく感じたり。これは偏見といえば偏見ですが、日常的に感じている様々なシーンの単なる男女の「割合」でもあるわけです。

じゃあどうするの?となった時に具体的な答えが見つからなかったのですが、子育てポイントの高い「家庭料理が日常的にできる」というスキルを小学生から男の子に教えていくことで、不必要で不合理な男女の分布を徐々に緩和してくことができるのではないかと。

Last of us 2 の衝撃はゲーマーにゲームをやめさせる力がある

ゲーマーと言えるほどゲームをやっているわけではないのですが、結構好きでちょくちょくやっていました、ところがLast of us 2をクリアして、ゲームをやる気になれなくなりました。

Last of us、Last of us 2はシナリオ+ビジュアル+音楽がすごいです。実在する役者の素晴らしい演技もあります。これは映画と同じ構成要素です。その上にゲームでは操作することで「擬似体験」ができるので、世界に入り込むことができます。

このゲームのように、ゲームのもつ映画と同じ側面のクオリティが高いと映画よりもキャラクターへの感情移入ができるようです。ゲームというのはある側面では映画よりも下であると思っていたのが、このゲームでは映画を超えてしまったのです。そういう条件の中でシナリオが耐え難い内容であれば、ゲームをやることで「心理的な苦痛」を得ることになります。Last of us 2はそういうゲームでした。

そういった「心理的な苦痛」を得たことが理由でゲームをする気がなくなったのかといえば、全くそうではありません。大人の方は小さな子供がやるようなゲームはやる気にはならないと思います。このゲームをクリアした後では、まるでこれまでやってきた大人向けのゲームも子供がやるようなゲームに思えてならなくなったのです。それほどゲームに対する私の概念を覆してしまいました。

映画のようなゲームはこれまでもありましたがそれとは全く違います。これまでの映画のようなゲームは映画のようなシナリオやビジュアル、音楽といった要素とゲーム要素のコラボレーションでした。しかしこのゲームは映画と同じ要素を巧みに使ってユーザーに強烈な体験をさせようとしているのです。つまりゲームをする過程で映画要素もあるのではなく、ゲーム体験を昇華させるために映画要素が巧みに使われているのです。

ぜひ製作者には「辛くないシナリオ」で新しいタイトルを作って欲しいです。

今後VRやARなどのハード要素も組み合わさって、このような作品を作る天才たちがテクノロジーとアートを総動員させてユーザーに何か体験させようとしてきたら、心が壊れるほどの衝撃を与えられてしまいそうです。

逆にマリオブラザーズでもやろうかなと思ってます。