monology」カテゴリーアーカイブ

「下請け」と「パートナー」

弊社の考え方として「下請けにならない」というのは基本的に譲ってはならないことです。
どの中小企業であってもそうならないように努力したほうがいいと思っています。

これは単にプライドを保ちたいとか、下手にまわるのがいやだとかそういうことではありません。
ましてお客様に強制するようなことでは絶対にありません。
「下請け」というのはつまるところ「どこに頼んでもいい」ということです。

中小企業であればほとんどの企業が社会全体に張られたサプライチェーンの中に組み込まれていて、「受注する企業」という意味ではそのすべてが「下請け」でしょう。しかし、お客様からみれば「代わりがきかない企業」というのは実質「下請け」から「パートナー」という扱いに変わるものです。
ですから「下請けにならない」というのは企業が目指す価値のある目標です。

ところが実際には、あるお客様には「パートナー」であったとしても、あるお客様には「下請け」です。請け負っている業務やニーズが違っていたり、お客様のお付き合いが広かったり狭かったりするからです。

請け負っている業務やニーズが違えば、自分たちの点数も違ってくるでしょう。会社のリソースから考えて、現状その分野では「下請け」であることを妥協しなければいけない状況もあります。
大きな会社は多くの会社との付き合いがあります。大きな会社相手ではその会社が知る多くの競争相手がいるので「パートナー」になるのは難しいかもしれません。小さい会社相手ではその逆がいえます。

さて、ここから導き出される会社の目指す方向性ですが、

  • 強みの分野でがんばる
  • 弱みの分野でも仕事があるなら強みにできる方法を考える
  • 小さな会社相手での「パートナー」に甘んじず、多くの競争相手にも勝てるようにがんばる

と、なんというか、書き出すのもばかばかしいようなものになってしまいました。しかし「切磋琢磨する」というのはどんなに会社が大きくなっても忘れてはならない企業のありかただなと、初心を記したいと思います。

ちょっとひとりウケ

たまたまタコを記述したwikipediaみていたら

一見頭に見える、丸く大きな部分は実は胴体であり、足の付け根部分が頭となる。すなわち、頭から足(腕)が生えていることになる(イカもそうだが、頭足綱の名の由来でもある)。

とあった。この「すなわち」ってなんだか面白くない?あ、そうでもない?

樹齢2000年

樹齢2000年の木らしいです。国の天然記念物らしいです。西暦をまんま生きてきた木があるってすごいですね。ところが調べてみたら、もっとすごいのがいました。最高齢の木が今年新たにスウェーデンで発見されています。スウェーデン中部の山で発見された樹齢9550年のトウヒ類(マツ科の常緑針葉樹)。これまで世界最高齢の樹木は北米の樹齢4000~5000年のマツ類とみられてきました。スカウターも壊れまっせ。写真は樹齢2000年の木。伊豆北川温泉の来宮神社にあるのを撮って来ました。

樹齢2000年の木

米朝

アメリカと北朝鮮のことではありません。

人間国宝の当代桂米朝さんをテレビの番組で知りました。落語の人です。

歌舞伎も能も見たことがないのは日本人としてどうなんだろうという様に、あんまり意識したことのない罪悪感が心のどこかにあるのを最近感じていました。現代文化を波のように浴びている中で、なんだかふわふわしているというか、そういう感覚がだんだん強まってきています。

最先端のテクノロジーが芸術的で大好きな一方。じいちゃん大好き。

古いものにも新しいものにもよさがあるというよなことではなくて、根本的にそのよさは古いものも新しいものも変わらないというのが持論です。私のデジタルに対する感覚は、アナログを扱っている感覚とそれほど違いがありません。それ自体特異なことなんでしょう。

デジタルは比較的整然としている一方、アナログは不確定要素が多い。またはデジタルは単純なことしか解釈も表現もできない(厳密な意味でです)一方、アナログはなんともいえないものを解釈し表現できる。というのがたとえば両者の違いですが、現代のほとんどのクリエイティブな仕事、映画や音楽、デザインにはデジタルが使われていて、対象は人間の感性なわけです。

伝統芸術のこの分野には、デジタルが入る余地がありません。デジタルは媒体として力を発揮するのに、この分野には媒体がないからです。

さて、番組のなかで米朝さんがいいました。

「なくなるとしたら、それが落語という文化の運命だろうね。」※厳密には違う言葉だったかも。

文化の滅亡についての一言です。
82才の落語に人生をかけ、その文化復興に努めてこられた方のこの一言には秘められた「信念」よりもまず「人柄」、そして周囲の人に対する「信頼」が感じられます。

落語見てみたいなと感じました。

技術革新と地球

エコロジーはいいことだけれど、やり方は様々なようです。個人でできること。企業でできること。政府でできること。
いろいろあるけれど、企業にとってやっぱりそれが産業の一部でないと続かない。
エコバックとかが流行って、たぶんアレ、結果的には逆効果だったんだろうし。うまくいくことばかりではないけれど、そういうことに取り組むのは人類が滅亡しないためにしなければならないことです。
でもエコしませんとか、エコやろうとして失敗しましたでは済まされないような状況のなか、善意だけではもう無理なんだろうなーと、残暑の中、クーラーもつけずに考えるわけです。

やっぱり一つの方法として技術革新が鍵だろうと。

http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20380047,00.htm

公害ださない電力さえ確保できればなー。

友達っていいな。

結婚式をします。

前は結婚式なんてできればしたくないと思ってました。
基本的にいいクロコでいたいなと思っているので表に出るなんて気持ちがわるいと思ってまして、それは今も変わりません。

でもいざ噂のひどく大変な結婚式の準備をしてみると、いろいろな発見がある。

そういうことを通して自分が成長できてるなーとも感じるし、自分の考え方を再認識できたし、相方の性格や望んでいることなんかもいろいろ知れたし。本当に有意義なことかもしれないと思いました。

でもなによりも友達がペーパーアイテムからビデオから指輪から花から二次会幹事から司会からDJからドレスからなにからなにまで全部快く引き受けてくれていることが最もうれしいし、自分の、自分たちのためにこれほどがんばってくれるんだなと思ったら改めて友達っていいなと思えました。うれしいことも悲しいことも、そいつらになんかあったら自分もなにかできることをしようと決意を新にした次第です。

みなさま本当にありがとう。きてくれるだけでもありがたいです。本当にありがとうございます。

ということで、こっぱずかしいとわがまま言ってないで、その日は主役という名のエンターテイナーになりたいなと開き直ってがんばっております。

それだけみんなに祝福されてるんだから、壊さないように大事にしたいと思います。

始まりと終わり

マトリックスじゃないけれども、始まりがあるものには終わりがあるんだな、と思うできごとがあった。生と死とか出会いと別れとかは始まりと終わりの一つの形なわけです。
死は別れと必ずセットですし、生も出会いといえる。

で、始まりと終わりにも裏と表があって、始まりは終わりであり、終わりは始まりなわけですな。いみわかんねー。けどあらためて思った。

自分がダメージ受けたときのためにメモ。

手をかける

先日嫁の勤務先の方が結婚祝いにダイニングテーブルと椅子2脚+2人掛け1脚を作って家に運んでくれた。作り出してくれたのは半年以上前で、結婚が決まるまえだったりする。

最近忙しくしていて自分の家の家具はそれのみになっている。カーテンも無い状態だが、そのダイニングセットが入ったとたんに生活観がでた。

どれだけの時間をかけてくれたのか。椅子のアールとかが手彫りだったりする。そういうものはアンティークや東南アジアで作られたものなんかで見ることができるけれど、それともまた違う。身近な人が手をかけてくれたこと。そのテーブルたちがメディアとなって人の心につながっているんだと思う。

合理的なものはエコに通じたり、いいところも沢山ある。けれど、そういったものがあふれている現在だからこそ、いい意味でそのダイニングセットは存在感がある。