年始に凧をあげようと4歳の息子と1歳の娘を連れて公園に行ったところ、小学五年生の男の子がサッカーボールをもって話しかけてくれました。
とてもいい子で、4歳の息子と遊んでくれました。
娘がベビーカーで寝てしまうと、目が届くように狭い範囲で息子に遊ばせなければなりません。アスレチックに多くの子供がいるので見失うことも多く、その度にヒヤヒヤするのですが、その子はとても賢く、大人びていて、素直で、初対面の息子を連れてそんな親の気持ちも察しながら息子のわがままや身勝手さをてなづけ、いっしょに楽しく遊んでいました。
3時間くらい遊んでいたと思いますが、サッカーが好きだとか、何の教科が好きだとか、そういったたわいのない話もたくさんして私とも少しづつ仲良くなりつつ、正月ということもあり髪ボサボサ無精髭の中年が通報されないかと気をつけながら距離感を持って接していました。
「4歳の子供と遊んでいてもつまんないだろう。ありがとうね。」
と言うと、
「兄弟がいないんで、楽しいです。」
と回答。自分を思い返すと小五にもなるとどんな言葉を発すれば大人が喜ぶか知っているよなぁと考えつつ、自分が小五のころはそんな言葉出なかったなぁと。
話すうちに、かつて地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教が政府に賠償請求したということを私に教えてくれました。「たった4円ですよ」と。
「よく知ってるね」と。計算するまでもなく彼は生まれてないわけですが、おそらくどこか新聞かニュースでやっているのを大人がみて、何かを会話したのだと思います。
「宗教って最低ですよね」と。
純粋な目と当然の無知さと強い正義感に圧倒されつつ「伝えなければならない」という衝動にかられました。
「宗教が悪いという考えは間違いだ。」
それまで自分の言うことをニコニコと聞いてくれたどこかのおじさんが真顔で言ったので、彼はちょっとびっくりした表情をし、私は慌てました。
「日本にいると感じづらいのだけれども、世界にいるほとんどの人がなんらかの宗教を持っているんだよ。宗教が悪いと言うのは、その人たちを悪いと言っているのと同じ。宗教が悪いんじゃない。人を殺したことが悪いことなんだ。いいかい?」
真剣な表情で彼はうなずきます。
大人が発した言葉がどのように子供に伝わるのかはとてもコントロールしづらいことです。彼自身か身近な人がとても辛い思いをしたのかもしれませんし、今となってはロクな考えもなくそう言ってしまったと。ただ確かなことは彼の周囲にいた大人の中で「宗教YES!」と言う人はいなかったのだろういうことです。
とても良い子だったので彼と彼の身近にいる人を信じることを前提としてではありますが、公園で出会った子供によくしらないオジさんが果たす役割はこういうことも一つと思うのです。
自分が生まれていない時代に起きた事件や今起きている宗教関連の数々の悪いニュースが子供達にどのように影響するのかについて私自身とても考えさせられた穏やかな日常でした。