大学の頃にインターネットが一般に広まっていったころ、私もMacを買って毎日ネットサーフィンやチャットを楽しんでいました。
当時AOLというプロバイダがメジャーで、私もそれを使っていました。
その中にはウェブメールやチャットルームなどがあって、
海外の人たちと話がしたいと思った私は、つたない英語で彼らと話をしていました。
その中で一人のアメリカ人の男性とよくメールやチャットをするようになりました。
彼は当時50才くらいで教師をしていたことがあるらしく、
またベトナム戦争で負傷し、日本に運ばれてそこで日本人に世話になったといっていました。
だから、私のつたない英語や幼稚な会話につきあってくれたんだと思います。
半年ぐらいそのような日々が続いたある日、彼が「家に来い」というのです。
そんなわけでいわゆる学生のホームステイという形でなく、
インターネットで知り合った、しかも海外の人に会いに行くという、
今でこそよくあるのかもしれないことを危険も顧みず実行したのでした。
彼はRhode Islandというニューヨークとカナダの間にあり、ボストンに隣接した小さな州に住んでいました。
安いチケットだったので、ボストンの空港に着いたのはちょうど日をまたぐような時間でしたが、彼が車で迎えに来てくれる予定でした。
ところが彼がおらず、「あー。こういうこともあるかな」とあきらめて宿を探そうとしていたとき、
アナウンスで私の名前が流れ、無事に彼に会えたのでした。渋滞につかまっていたのだそうです。
ここから3週間という長くも短くもある時間を彼の家ですごしました。
料理を作ったり、馬の世話をしたり、犬や猫と遊んだり。
田舎のカジノに行ったり、ボストンまで行ってすしを食べたり。
この出来事がなければ、私はインターネットに関する仕事に付いていなかったでしょう。
ボトルに手紙を詰め、太平洋をまたいで流れ着いたメッセージが届く。
若き日の私はそんなロマンを 興奮とともにインターネットの力を体験したのでした。
私は大学を卒業し、就職をし、実家を出ていったころ、
AOLが使えなくなったのもあり、
通常のメールが届いていないのか、返信が無かっただけなのか、
彼と連絡が取れなくなりました。
気にはなっていたものの、 連絡する方法も思い当たらず、
彼のことを忘れる時間も増えていき、結局それ以来、彼と連絡が取れないでいました。
Facebookでもしかしたらと思い彼の名を検索にかけてみましたが、
一度も彼らしき人を見つけることができませんでした。
今日も同様にやはり彼らしき人を見つけることはできなかったのですが、
彼の住んでいるRhode Islandとともに検索をしたとき、
見覚えのある名前が目に留まりました。彼の姪です。
私が滞在中に一度だけ30分くらいの時間でしたがあったことのある人でした。
検索結果が表示されるまで彼女の名前は忘れていました。
間違いないと思ってメッセージを投げ、その直後ある彼女の記事が目に留まったのです。
彼が亡くなったという内容の記事でした。それも数日前に。
ショックでした。
彼と連絡をとることはもう二度とできなくなりました。話すことも会うことも。
後悔がのこります。もっと真剣に探して入ればよかった。
それでも彼の死を私は知ることができました。
滞在中、彼の父母のお墓に一緒にお参りにいったことを思い出します。
いつか彼のお墓に行き、もう一度お礼を言おうと、そう誓います。