男の子に料理を教えないと男女平等の日本は訪れない?

横浜パパ会をやっていて感じることは、参加しづらそうなお父さんと、参加しやすそうなお父さんがいるということです。その差はずばり「料理ができるかどうか」のように思います。参加しづらさの原因そのものではないのですが「料理が好き」「あるいは料理が嫌じゃなく日常的にできる」という方は比較的、育児に対して自信を持ちやすい傾向があるように思うからです。

子供と遊ぶことができる、教えることができる、掃除できる、洗濯できる、そういうことも得意不得意があるのですが何よりも「子供にご飯を作って食べさせる」ということが「子育てしてる」という自信を持ちやすいポイントなのではないかと思います。例えば「裁縫できる」は生活スキルの中での重要度が下がっています。良質な新しい衣類が裁縫するよりも安く手に入るからです。洗濯も掃除も家電の発達によって簡単になっています。しかし料理に関しはそうならないのは、いくら調理器が発達して手間が省けても求めるだけ追求でき、その理想系がメディアにあふれているからです。

もちろん「お金を稼ぐ」行為が前提としてないと成り立たないので、一生懸命働くということは間違いなく子育ての礎です。父親の育児参加論にありがちな一生懸命働く行為が子育てにカウントされない風潮はあまりにも乱暴に思っています。働いたことをポイントからカットされ、残るは「子供と遊ぶことができる」「教えることができる」というフィールドですが、それすらも不器用で難しい方は典型的な昭和のお父さんとして疎まれている現代です。

一方でお母さん側はどうかというと「ご飯作りがいや」「できればやりたくない」という方は逆にパパ会の活動に賛同される方が多いように思います。この会がそういう個性のお母さんを許容する立場であるからなのかもしれません。

子供の立場からすればお金をいっぱい稼いでくれるお父さんは尊敬されるし、家を清潔に保ち、美味しくて栄養のあるご飯を作ってくれるお母さんもまた尊敬されます。しかしお父さんとお母さんが全く逆のことをやっていたとしても、あるいは両親でバランスをとってうまくやっていたとしても子供にとっては全く問題がないので、双方が尊敬されるはずです。

子供にとっては両親が一生懸命かどうか、あるいは両親の持っているスキルがどうかという話です。端的にいえば「あんたは私のために何をしてくれるの?」ということです。親が家族に対してやれることをやっている限り、子供にとって性別は関係ありません。仮に共にやれることをやっていたとして、子供が尊敬しないのであれば夫婦の互いの不当な評価を子供に伝えてしまっていることが原因かもしれません。

何となく赤子を抱っこしてSNSで笑っている男性があざとく見えたり、後ろめたく感じたり。あるいは仕事を頑張っている女性が必要以上に頑張って見えたり、うらやましく感じたり。これは偏見といえば偏見ですが、日常的に感じている様々なシーンの単なる男女の「割合」でもあるわけです。

じゃあどうするの?となった時に具体的な答えが見つからなかったのですが、子育てポイントの高い「家庭料理が日常的にできる」というスキルを小学生から男の子に教えていくことで、不必要で不合理な男女の分布を徐々に緩和してくことができるのではないかと。

Last of us 2 の衝撃はゲーマーにゲームをやめさせる力がある

ゲーマーと言えるほどゲームをやっているわけではないのですが、結構好きでちょくちょくやっていました、ところがLast of us 2をクリアして、ゲームをやる気になれなくなりました。

Last of us、Last of us 2はシナリオ+ビジュアル+音楽がすごいです。実在する役者の素晴らしい演技もあります。これは映画と同じ構成要素です。その上にゲームでは操作することで「擬似体験」ができるので、世界に入り込むことができます。

このゲームのように、ゲームのもつ映画と同じ側面のクオリティが高いと映画よりもキャラクターへの感情移入ができるようです。ゲームというのはある側面では映画よりも下であると思っていたのが、このゲームでは映画を超えてしまったのです。そういう条件の中でシナリオが耐え難い内容であれば、ゲームをやることで「心理的な苦痛」を得ることになります。Last of us 2はそういうゲームでした。

そういった「心理的な苦痛」を得たことが理由でゲームをする気がなくなったのかといえば、全くそうではありません。大人の方は小さな子供がやるようなゲームはやる気にはならないと思います。このゲームをクリアした後では、まるでこれまでやってきた大人向けのゲームも子供がやるようなゲームに思えてならなくなったのです。それほどゲームに対する私の概念を覆してしまいました。

映画のようなゲームはこれまでもありましたがそれとは全く違います。これまでの映画のようなゲームは映画のようなシナリオやビジュアル、音楽といった要素とゲーム要素のコラボレーションでした。しかしこのゲームは映画と同じ要素を巧みに使ってユーザーに強烈な体験をさせようとしているのです。つまりゲームをする過程で映画要素もあるのではなく、ゲーム体験を昇華させるために映画要素が巧みに使われているのです。

ぜひ製作者には「辛くないシナリオ」で新しいタイトルを作って欲しいです。

今後VRやARなどのハード要素も組み合わさって、このような作品を作る天才たちがテクノロジーとアートを総動員させてユーザーに何か体験させようとしてきたら、心が壊れるほどの衝撃を与えられてしまいそうです。

逆にマリオブラザーズでもやろうかなと思ってます。

あーやっちまった。。玄米買っちゃった。。30kg

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うちは毎回30kgの白米を買って、ストックしています。品種もいろいろと試していて、最近気に入ったのが「ななつぼし」です。今回もネットで「ななつぼし」を購入。30kg。

ところが今回間違って、玄米を購入してしまいました。 気づいた時にはすでに発送済み。どうする?玄米のまま食べるのか。

少し調べると、お米屋さんにコイン精米機というものがあるらしい。わざわざそこで精米して持ってくるのも大変そうです。

も少し調べると、家庭用の精米機が有るらしい。ピンきりだが1万円くらいでそこそこ使えるとのこと。

選択肢1:玄米のまま食べる。うちの奥さんはお米好きなのでこの選択肢は却下。
選択肢2:コイン精米機で精米してくる。面倒な上に奥さんに「なにしてんの?」と言われること必須。却下。
選択肢3:家庭用精米機を購入する。これも「なにしてんの?」と言われること必須だし面倒だが、毎回うまい米が食えるはずな分、プラマイゼロということで採用。

ここでさらに選択を迫られる。
選択肢A:奥さんに相談してから
選択肢B:事後報告

米はもう届いてしまう。手持ちの米は尽きてしまう。奥さんが米好き。スペースはなんとかなりそう。米が主な夕飯は私のかかりなので精米するのも私。

以上を考慮して選択肢Bを選択の上、ものが届いてしまってから釈明をするという覚悟を。

昨日精米機が届き、事情を説明し「しょうがないな」のお言葉頂きました。以前も黙って「餅つき機」を(横浜パパ会の行事のために)買ってしまったのですが、はじめは「でかい!場所ない!じゃま」と苦言を言われたものの、いざできた餅を食べると買った餅とは雲泥の差でご機嫌。事なきを得たという経験があります。

そして今日玄米が届いたので、1合だけテストしてみました。 設定をしてスイッチぽん。

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結構な音。でもミキサーや掃除機ほどではない。2分かからないぐらいで止まりました。

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お、白米になってる。研いで水に浸し、炊いてみます。

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炊けた。米が立ってます。

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ホタルイカの辛子味噌あえで食します。やっぱりうまい。米が届きたての今の時点ではそう変わらないんだと思いますが、後半になってくると保存が玄米なので変わってくるはず。

こちらの商品は玄米具合や無洗米、古いお米を磨くこともできる(時間調節するだけだと思いますけど)らしいので栄養考えたり、キャンプなどのシーンでも活躍しそうです。

30kgを白米で買うのは農家としては非常識なんでしょうね。ネットの殆どの商品が玄米。玄米を白米にしてくれるオプションが選べるものも中にありますが、はじめから白米で売っているのは多くありません。30kgを完食する後半になってくると明らかに味がおちます。やはり精米したてが美味しいとのことで、お米やさんも管理には気を使っていることらしいです。

玄米から精米すると糠がでますが、今後のぬか漬けは自前です。 糠はクッキーなどもできるらしいので子供の栄養にもとてもよいかも。 しばらくうまい米が食べられそうです。

イクメンと呼ばれる違和感が自分の父親像にあったことに気がついた件

5年前に長男が生まれてからイクメンと呼ばれるようになりました。

そう呼ばれた時、悪口ではないのでわざわざ否定することもなく過ごしています。

そう呼ばれるたびに違和感を感じるのは初めて呼ばれた時からです。

私の父はイクメンではなかったでしょう。育児に関するほとんどのことは母がやっていました。自分が親になった今、父と母の印象は、二人ともとてもよく働いていたということ、父は時々遊んでくれたり工作を手伝ってくれたりしたということ、母は常に自分より家族を優先してそれはもう献身的だったということ、そして二人はお互いの役割分担がよくできていて、尊重しあっていたということです。大人になって色々な家庭の話を聞いて初めて、恵まれた家庭で育ったと気づきます。

私は料理が好きで、子供が好きです。それは性格のようなものであり、単に好きだから好きなだけです。それが好きではない人もいるでしょう。私は掃除も洗濯もそれほど好きではありません。DIYや実験なんかも好きなので、時々やります。電気関係も仕事にしてるぐらいなので得意です。この性格は生活力という面ではかなり有利な方です。初めて一人暮らしした時もあまり困りませんでした。

私の友人にはイクメンとは呼ばれない人たちがいます。

料理が得意でなかったりする人たちです。子供は好きでないこともあれば、どう接していいのかわからないという人もいます。しかしその全員が一生懸命働いています。そしてその人たちに時々、私は父を重ねることがあります。

言葉はなんでもそうですが表裏があり、「イクメン」という言葉は「そうでない人」と表と裏の関係にあります。「イクメン」と「育児」という言葉はイメージの結びつきが強いです。反動の結果として、「そうでない人」と「育児」のイメージをより遠ざけるということになっているかもしれません。イクメンでない人は育児をしていないというイメージです。

「イクメンでない人」とはまさに父のことになるわけです。私は「父が(もちろん母もですが)育ててくれたという記憶」を持っています。暴力親父やダメな父、そもそも父親がいないなどの家庭の人もいますが、私の父は優しかったので、私にとって「育児する人」と「イクメンでないけどよく働く人」はイメージとして同質なものなのです。同じものと言ってもいいぐらいです。

先日、横浜パパ会の主催者としてある方とお話しさせていただいた時のことです。確か私が育児をしていることを褒めてくださった時にとっさに出た言葉だったと記憶しています。

「世のお父さんたちは一生懸命働いています。それで十分だと思います。私はたまたま料理も子供の世話もしますが、それは好きだからです。要は得意分野が何かということで、夫婦が良しとしているのであれば、誰がおもつ替えをしても子供にとっては一向に構わないわけで、家族がそれで成り立っていればそれで良いと思ってます。だから私はそっちが得意じゃなくても一生懸命働いているお父さんたちだって十分にイクメンだと思っています。」

せっかく褒めてくださったのにと反省もありますが、言葉を発すると、自分がどう思っていたかということに気がつくということがあります。ずっと感じていた違和感は、父のことを「育児しない人」と言われていると、そう思っていたからだと。

伝統的な女性観と男性観のせいで苦しむ人もいるので、頭を柔軟にしなければ人を傷つけることになります。「イクメン」という言葉は強い言葉です。ガツンともの申す力があります。おかげさまで、「男が台所に入るな」と言われる時代であれば、料理が好きなどと言い辛かったでしょうが、Facebookに料理した画像を堂々と投稿でき、「いいね」もたくさんという世の中になりました。

一方でメディアで家事育児をする男性や、バリバリ働く女性の話題が取り上げられた時に、主婦を頑張っている人たちや、家事育児は得意でないけどよく働いているお父さんたちが、否定されていると感じることがあるかもしれません。私が横浜パパ会をやっていることすら、負い目に感じるお父さんがいるくらいです。しかし、自分が好きなこと、得意なこと、夫婦で良しとしていることをやっているのであれば、立派なことでして、社会が否定するようなことではありません。

あとは夫婦間の尊敬と感謝の話です。ここが難しいんですけどね。

ジェンダー関係なく、どのような生き方が良いか、たくさんの選択肢が社会的にも用意されている。そういう時代になったといえるでしょう。その良い面だけが残るよう、言葉に含まれる否定的な意味合いが薄れていって、多様な考えが多様な考えの人に許容されるといいなと思っています。

壊れたPS3とiPad2エラーコード9を修理した件

先日親のiPad2をアップデート作業中にエラーが生じ、それ以来立ち上がらなくなってしまいました。あらゆる手をつくしましたが、全然ダメです。DFUモードでのトライも何度もしました。

サポートに事情を話すと、あらゆる手をつくしているので後は修理しかないですと。25000ほどかかるそうですと。中古のiPad2のほうがまだ安いです。

こういうことにはかなりあきらめが悪く、なんとかする性格がおそらくオタク知識を増幅させてきたのだと思います。

海外のログで試してみろというソフトをダウンロードして起動させただけでいきなりピューという音を立ててiPadが復活したではないですか。

そのソフトはこちら使用版として使用するボタンを押しただけで復活しました。

http://www.wondershare.com/data-recovery-mac/mac-iphone-data-recovery.html

ちなみにずーっと出ていたエラーコードは9です。

修理に出す前にぜひお試しあれ。

 

もうひとつ。

PS3がうちでずーっと壊れていました。ゲームもしている暇がなくなったのですが、子どもたちがDVDを見たいとたまに言います。たまたまPS3を直したという記事をみて、やってみる気になりました。

http://www.call-t.co.jp/blog/mt/archives/entry/014835.html

ヒートガンとセラミックグリスをAmazonで。フラックスをyodobashi.comで購入しました。
一回目のトライは熱し方が足りなかったのか失敗。もう一度分解し、2度めのトライで復活を遂げました。早速子どもたちにドラえもんの映画DVDを見せようとディスクを挿入。無事に見れました。

が、ディスクが取り出せない状況に。。多分分解をもとに戻す際にズレが生じたようです。

これに関しては明日直そう。

家にあるものを治すというのは、なんだか気持ちが良いです。
こうしてうちには道具が増えていくのでした。。

guradでspring rspecを実行した時にsimplecovを実行せず、bundle exec rspecを実行した時のみ実行する方法

ことの発端はApartmentとsimplecov+guardの相性が悪いということでした。

しばらくsimplecovを使っていなかったのですが、お金関係の実装をしていてさすがにテストのカバレッジが気になったのでsimplecovを再度入れてみたところ、不可解な現象が生じました。

一部のクラスだけカバレッジが反映されていない。。

本質的な理由はよくわからないのですが、どうやらApartmentのinitializerでexcluded_modelsを設定しているクラスに関してカバレッジが反映されないということがわかりました。githubでは同様の現象をApartmentの開発者に問い合わせている痕跡を見つけることができたものの、「なぜ?」という部分に関しては謎なままissueがcloseに。

いろいろと調べた結果、どうやらApartmentがinitializerですでにクラスをロードしていることが原因と考えられます。そしてこれはguardでspringを使ってrspecを走らせた場合に限ると。つまりguardでspringを走らせた場合は
1.Apartment.initializer
2.excluded_modelsのロード
3.simplecovのスタート
となり、bundle exec guardで走らせた場合は
1.simplecovのスタート
2.Apartment.initializer
3.excluded_modelsのロード
となるわけです。
simplecovはスタートした時点で監視を始めるので、その前にロードされたものに関しては無視するということではないか?というのが仮説ですが、真相はまだわかりません。

最低限やりたいことの条件としては

1.guardを使ってrspecを常に走らせることはしたい。
2.guardを使ってrspecを走らせている時はいちいちカバレッジは更新されなくてもよい。

ということでspec_helperの頭には

[code lang=”ruby”]
  # bundle exec rspec specの時だけsimplecovを動かす
# bundle execで直接rspecを実行した場合
# この時点ではrails_envが設定されていないためこれを利用する
unless ENV[‘RAILS_ENV’]
require ‘simplecov’
SimpleCov.start ‘rails’do
add_filter ‘app/exceptions/’
add_group ‘Validators’, ‘app/validators’
end
end[/code]

rails_helper側の頭は

[code lang=”ruby”]
NV[‘RAILS_ENV’] ||= ‘test’

require ‘spec_helper’
require File.expand_path(‘../../config/environment’, __FILE__)
require ‘rspec/rails’

[/code]

とすると、bundle exec rspecを実行した時のみcoverageを動かすことができる。

安保改正法がなんだか掴めない理由

最初に、安保改正法を通すことは反対という立場を明確にしておきたいと思います。

安保法案について、よく理解しないうちに「賛成・反対」に関する記事やニュースを読む、デモに参加する、ブログに書くなどはしないほうがよいと思います。まず知って、それから意見を持つのが正しい順序です。安保法案をよく理解していないなと感じる人は、違う立場の人たちのあらゆる記事を読む必要があります。大事なことです。

今の憲法が出来てからまだ100年も経っていませんが、まず集団的自衛権の解釈が制定時から徐々に変わってきているという事実があることを知らなければなりません。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/15/japan-security-bills_n_7313158.html

今回の安保法案はその流れの中にあるもので、突然現れたものではないということについて知っておく必要があります。それぞれが正しいかどうかは別として、各時代の世界情勢に対応するために憲法そのものを変えるのではなく、解釈を変えてきたという歴史になります。

そして今回も憲法を変えるのは難しそうだけど、さすがに法律が必要ということになったと。

その目的が「世界情勢に対応するため」ということになるわけですが、その世界情勢がなんなのかということについて政府が国民に説明することが非常に難しい状況があるのだと思います。このことが安保法案がなんだか掴めない理由だと思います。

身近な話ではないので、うまい例が見つかりませんが、例えば人質事件を秘密裏に解決するのと同じような、目的の達成に秘密が必要なケースに当たるというわけです。

対象の世界情勢がなんなのか、一つの解釈としてこちらの記事が参考になりました。

http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=21211

政府が把握している世界情勢を知らないものにとって、安保法案が正しいのかどうか判断すること自体が到底無理なことです。政府側からすれば「だから国民は理解できないんだ」ということになります。国民としては結局のところ政治家の方々にそのときそのときでお任せしなければならない場面が出てくることも現実としてあると思います。

初めに政治家への信頼を表明するのが選挙だとすれば、最後に政治家への信頼となるのは憲法です。

現在政府がとっている強硬手段ともいえるやり方は、現状の政治への不信を踏まえた上で、目的を達成するための善意の行動であると信頼しています。また、安保法案はなんらかの差し迫った世界情勢に対応するために必要なんだと思っています。

ですから安保法案が通らないことによるなんからの不利益を一国民として受け入れた上でという話になりますが、それでも最後に政治家への信頼となるのが憲法である以上、その解釈を変更する法律など存在するはずがありません。このような法律が成り立つのかどうか。これは司法で判断されるべき案件だと思います。実際に裁判を起こす動きもあるようです。仮に司法で違憲と判断されれば、結局立法とはならず、現政府のみならず国民に政治への不信だけを残す結界になります。

 

子育ての現実は経験してわかること。でも、想像でも分かり合えると思う。

金曜日の夜のことです。

4歳の息子が突然耳が痛いと言い出しました。おや?と思ったものの、あんまり酷ければ明日耳鼻科に連れて行こうと思いました。寝る時間になって、あまりにも痛いというのでネットで症状を調べると、どうやら急性中耳炎のようでした。対応としては緊急を要するものではないということで、朝までやり過ごそうと思っていました。

あまりにも痛がって眠れないとのことで、体を起こして冷やすといいという情報があったので、ベビーカーに乗せたまま毛布で包み、散歩して寝かすことにしました。1時間ほど歩いたところでやっと寝ました。帰ってきて1時間でまた痛がって起き、それを3回繰り返して計3時間くらいは歩いたことでしょう。(結局、救急に電話して歩いて病院まで行き、痛め止めをもらってなんとかなりました。)

その道中で酔っ払ったおじさんが(わたしもおじさんですが)「こんな時間に子供をつれあるいてんじゃねー」といってきました。まー、おっさんどうしですから、金曜ですし、酔っ払っていることもあって腹も立ちませんでしたが、一方で、「この人、子育てしてないだろうな」「ギャップすごいな」「ハラスメントだな」と感じたのです。

ニュースで「子供がお母さんの目の前で車にひかれた」「子供にリードをつける親がいる」ということを知った時、どれほどの人がリアルに状況を理解できるでしょうか。その親がどのような親かということについては真実を知らない限り想像すべきでありません。一つ言えるのは子供は一人一人個性があって、その子その子で全く違うということです。実際に好奇心旺盛で親の言うことが全く耳に入らない子がいます。ですから、親の道徳的・基本的指針はあったとしても、どうあるべき(どうすべき)ということは論じられないのです。

わたし自身子供ができるまで、小さい子供を持っている親がどういう状況なのか、想像したことはありませんでした。仮に子供がいなかったとして、そして想像を試みたとして、現状をどれほどわかるのかということに関し、自信が持てません。

ですから「夜中に子供を外にだしてはいけない」「子供から眼を離してはいけない」「子供にリードなどつけてはいけない」と言う人の気持ちはよくわかります。ですが、もうすこし想像力を働かせて少なくとも「そうせざるを得ない可能性」について考え、多めに見て欲しいと思います。

IKEAのホットドック(ピクルス・オニオン付き)を綺麗に食べる方法

2年くらい前に編み出した方法なのですが、
友人との間でちょっとした話題になったので共有します。

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IKEAのフードコートにとっても安いホットドックがあり、
買い物で小腹が空いたらよく食べるのですが、
このホットドックにつけることができる(ピクルスとオニオン)が
必ずと言っていいほど皿や服に溢れて散々な目にあいます。

もちろんいれすぎなければよいのですが、
ピクルス多目が好みなのでどうしてもたくさんいれたい。
とくにオニオンはカリカリになっているのでこぼれやすく、
子供に至っては着替えが必要なほどに。

周囲を見渡すとみんな苦労されているようで、食後はひどい有様。

ところがこの方法を使うとほぼ、確実に綺麗に食べることができます。

1:まずウィンナーを外します。

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2:次にオニオンをいれます。

3:ピクルスをいれます。

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4:ウィンナーを戻します。

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5:最後にケチャップとマスタードをかけて食べます。

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6:食後はこんな感じ。ほとんど散らかっていません。

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しかもピクルスの酸味やオニオンのカリカリが下にあるので
口にいれた時にダイレクトに食感や味覚を感じることができとても美味しいのです。

IKEAでホットドックを食べるときはぜひお試しください。